好きなコンテンツの地雷化
好きなコンテンツが地雷と化しそうな今日この頃。
ちょうどRTで回ってきて、こういう現象って誰しもなり得るだな…と、安心した。
好きになった作品の好きな気持ちをこじらせて最後に嫌いになることってあるけど、自分と波長が合わないファンの反応がイヤだったり情報を追うのが疲れるのがだいたい原因だから、大好きな作品とは時々2人きりになって初めての時を思い出すと良いですよ。心のメンテナンスだと思う。
— 鉄猫 (@ironcat) 2018年2月28日
それぞれの道を進み始めてるにも関わらず、個々のコンテンツをいろいろと重ねてるのは本当にどうなのだろうか、と最近考えている。
これは自分自身へ対しても言い聞かせてることでもあるかも。
たまたま曲名に似た要素があったりして、どうにかしてユニット性を求めてる人が多くいる印象。
ふたりのユニットのデビュー当初から見てきている作詞家さんが、立場上具体的に言われてないけど、二度ほど強めに言及しているのを見かけると、ユニット性を求めてる人が多いんだなと感じ取れる。
ラジオ最終回で、輝くような曲をって言ってくれて、また新たなスタートを切るふたりに…っていう点において、いろんな縁でゆかりの方の作曲で実現したのはすごく嬉しかった。
そこから派生して、「実質!!」とか、こじつけることに対してはもやもやしてしまう…わかるんだけど…
正直ジャケットのコラにはドン引きしてしまった…
この多数派が多いのを見かけるたびに、少しずつ自分の中で気持ちが離れていってしまう感じがあるのがすごくすごく辛い。好きなのに。
ふたりがユニット活動してくれてたのが本当だったのかな?と思っちゃったりもしちゃう…未だに気持ちの整理が出来ない。しばらく曲も正直聴けてない。
突然に突きつけられた「活動休止」という言い方や活動休止にあたっての休止の仕方が、こういった個々の活動に多くの人が結果としてユニット性を求めてしまう要因なのかな、とも考えている。わからないけど。
「活動休止」という言い方をすることで、「ふたりの関係性はこれからも変わらないよ♡」という運営側からの配慮だったのかもしれないけど、結果として苦しめてる要因であると思う。実際私が苦しめられている…
「解散」としてくれた方がずっとずっと楽だったのでは…とさえ思えてきてしまうほど。
私自身休止が発表されるまでは、正直県民よりでユニットが好きでいた。
奇しくも活動休止が発表されてから、「一人ひとりが好きだから、ユニットが好きなんだ」ということにようやく気がつけた。 遅かったかもしれないけど、このことに気づけて本当によかったと思う。
気がつくことができたからこそ、6/30以降のそれぞれの活動を応援したい!していく!と思い、イベントに足を運ぶようにようやくなれたから。
話がずれてしまった。
応援の仕方はそれぞれだけど、やっぱり個々の活動にユニット性を求めたり、こじつけるのは違和感を感じてしまう…
上手く距離を保ちつつ、気持ちの整理や心のメンテナンスをして、地雷化さないようにしていきたい。大前提として一人ひとりが好きであるから。
支離滅裂だけど、一旦おわり!